不登校の子どもさん のための家庭教師 「アットホーム」
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何が原因で不登校や「ひきこもり」が起きるかは、まだよくわかっていません。学者の人たちや評論家の人たちの間でも決まった見解はありません。
ただ、ひとつの仮説はあります。
不登校や「ひきこもり」は、本来、とても創造的で、人間にとって本質的なことなのです。それが、現代社会の構造にとって、妨げられてしまっている。その結果、起きるのが、不登校や「ひきこもり」なんだ……ぼくは、そう考えます。
人は、真に創造的・主体的になるために、一度、「外」へ出ます。他人や社会から与えられた価値をそのまま受け入れるのではなく、自分から価値を創造できる存在になるために、一度、人は価値の「外」に出るのです。
たとえば、ディズニー映画の『ライオン・キング』でも、主人公のライオンがいったん共同体の「外」に出ますね。そして、さまざまな試練を経て、戻ってくるときには、共同体を創ることができる「キング」になっているのです。
実は、昔は、「外」へ出ることが比較的容易でした。「学校をサボる」なんてわりとカンタンにできました。「学校をサボっ」て森の中で寝っ転がっていても、先生にもそんなに怒られなかったし(仮にどなられても、そのとき限り、という怒り方でした)、親も、6人も7人も子どもがいる中で1人くらい「学校をサボっ」ていてもそんなに気にしなかった。
(ちなみに、かつて人類は、わざと子どもをジャングルや草原に追い出して、戻って来させる、戻ってきたときには一人前の部族のメンバーだ、という、ちゃんとした「外」へ出るシステムを持っていました。)
でも、今は、そうはいきません。「学校をサボる」と、すぐに呼び出されたり、こんこんと理由を聞かれる。親も、大切な一人っ子か2人兄弟のひとりだから、大いに心配する。
これでは、「外」へ出るつもりが、余計に学校や親の「洞窟」に迷い込んでしまったようなものです。真に創造的・主体的になるために、既成の価値から「外」へ出ようとしても、「外」へ出られず、かといって、完全に「内」にいるわけでもない、変な異空間に入り込んでしまうわけです。
だとするならば、子どもは、自分の小さな仲間うち、自分の部屋、自分の内面という、学校や親からは「外」だけれど、実は「洞窟」、……という場所に迷い込むしかないわけです。
「ひきこもり」だなんてとんでもない言葉です。彼ら彼女たちは、真に創造的・主体的になるために、自分の心という通路を通って「外」へ出ようとしたのです。出ようとして、出ることが許されず、心の中の異空間に迷い込んでしまっているのです。
では、どうすればいいのでしょうか。それは、きちんと彼ら彼女たちを「外」に解き放ってやることです。
間違えてはいけません。彼ら彼女たちを、「部屋」の「こちら側」に連れ戻そうとしてもだめです。彼ら彼女たちは、自分の心の「部屋」を通って「外」へ出ようとしているのですから。「部屋」の「こちら側」に連れ戻そうとすればするほど、彼ら彼女たちは洞窟の奥深くに入り込んでしまいます。
だいじょうぶですよ。
きちんと「外」へ出してやれば、彼ら彼女たちは、「ライオン・キング」のように、より強く、よりたくましく、より優しくなって、必ず「戻って」きます。
もちろん、「外」へ出してやる方法は、簡単ではありませんし、これという王道もありません。それは、また別の機会にお話ししたいと思いますが、……その方法は、結局は、彼ら彼女たちのひとりひとりが、今、どんな状態で異空間に迷い込んでしまっているかを、決してあわてず、ひとりの親……いえ、ひとりの人間として、強くたくましく優しく(これは、実は、彼ら彼女たちが「戻って」きたときの姿でもあるのですが)、見極めるしかないのです。
岩田澄人(2004.12.15)
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